フィルムカメラ初心者が月1本だけ撮る理由|すこし人生とやらを切り抜いてみるよ

「はやく撮れ!」──そんな声が聞こえてきそうなほど、僕はフィルムカメラを持って歩いているのに、なかなかシャッターを切らない。
でも、それでいいと思っている。いや、むしろそれがいい。
フィルムカメラは「撮る」より「考える」が美味しい。
この言葉が、最近じわじわと自分の中で定着してきた。
月に1本だけ──贅沢な制限

フィルムカメラを始めたばかりの頃、枚数の少なさに戸惑った。
36枚しか撮れない。しかも現像にお金がかかる。
でも、だからこそ「撮る理由」が必要になる。
月に1本だけ──この制限が、僕にとっては贅沢だった。
撮らない時間が増える。考える時間が増える。
そして、問いが生まれる。
問いを持ち歩くというスタンス
カメラは、記録装置じゃない。
僕にとっては「問いの器」だ。
「この瞬間は、撮る価値があるか?」
「この距離感は、何を語っているか?」
「この空白に、意味はあるか?」
そんな問いをポケットに入れて、日常を歩く。
撮らない時間が、思想になる。
そして、たまに撮る。月に1本だけ。
カップに刻む思想
この思想を、カップに刻んでみた。
「フィルムカメラは『撮る』より『考える』が美味しい」
「日常を止めて、全く違う日常を見る」
「生きているを、切り抜く」
「…とか言ってないで、はやく撮れ!」(笑)
カップは、語るための器。
問いを味わう時間を支える道具。
棚に残る思想のかけら。
動画で“時間を抜く”という構成
最近は、動画も撮っている。
でも、ただ流すだけじゃない。
流れている時間の中で、一瞬だけ止まる。
その止まった瞬間に、フィルム写真を差し込む。
動画の中で、時間を抜く。
それが、写真の本質だと思っている。
「この瞬間は、問いに値した」
そんな語録を字幕で流す。
語りは途中で止めて、音楽だけが残る。
じんわりカッコいい世界観が、そこにある。
売れるか?残るか?
正直、売れるかどうかはわからない。
カップも、ノートも、カードも、カメラも。
でも、残るかどうかは信じている。
思想は、売るものじゃない。
残すものだ。
だから、noteに書く。
YouTubeで語る。
カップに刻む。
そして、月に1本だけ撮る。
すこし人生とやらを切り抜いてみるよ
フィルムカメラというヤツで。
問いを持ち歩いて、撮らない時間を味わって。
日常を止めて、全く違う日常を見る。
それが、僕の贅沢。
月に1本だけの贅沢。
問いのある日常。
最後に──日常を止めて、味わってみよう
もし、あなたがフィルムカメラを始めようとしているなら──
まずは、撮らない時間を楽しんでみてほしい。
問いを持ち歩いてみてほしい。
そして、月に1本だけ撮ってみてほしい。
その1枚が、あなたの人生を切り抜くかもしれないから。